〓気づき

●亡くなった故人やペットの写真について

2017-08-04

(先祖供養について)

生きる人間は、人の容姿にこだわります。

これは生きる上でのエチケットとしては、ある程度は理解出来ます。

そして、亡くなった人の姿も、「生きる人間側が」いつまでも残そうとするものです。

これが問題に成ります。

これが意外にも、

・生まれ変わって行く魂の法則的に、「霊界での禁止事項」であることを知らない人が大半です。

・故人の成仏(コノ世への未練が無くなること)を妨害します。

・故人という存在は、コノ世への未練の思いの残存量と比例して、肉体を持っていた時の痛みも継続する。

だから故人を安らかにする為には、

・「常設での」写真展示をしないこと。

・故人の命日(年・月ごと)などの記念日だけ、写真を飾ることは良い。

・故人の写真や映像を、保存して置くのは問題はないです。

これは私だけの独自の概念では無くて、

原始仏教ユダヤ教キリスト教イスラームの諸宗教でも、「偶像崇拝は禁忌」とされており、特に神様を可視化してはならない原則があります。

実は、これは故人の霊であっても、同じなのです。

アノ世の法則だと思ってください。

生まれ変わりをして行く魂の本質として、「前の形を残す」「引きずる」ということは、

・生きる人間側が、故人への執着心で行う行為であること。

・故人は、過去の肉体を引きずるということは、生前の痛みも同様に引きずることに成る法則。

生きている人間でも、過去に遭った事故を思い出すだけで、その時の痛みも思い出すものです。

これと同様な現象が、故人にも起こります。

コノ世で成功した人が、生前に自分の像を作成して残すことがあります。

でも、アノ世へ行きますと、100%の故人の霊が作ったことを反省しています。

死んで見て、アノ世で自我(ワレヨシ心。私が私がという思い)が薄まった心から、コノ世に残る自分の偶像を見た時に、

・私は生前に、なんて恥ずかしい自我の主張をしていたのだろうか。

・穴があったら入りたい、見たくない、生前の汚点だった。

という生きている時とは真逆の思いを故人は持ちます。

アノ世で体験する厳正・公平・清浄な世界を垣間見ますと、自分の偶像を残したかった思いが、非常に恥ずかしい思いであることが良く分かるのです。

これは生きている今でも、有名な俳優や歌手であっても、自分が若い頃の映像を見せられますと、

「もう止めて!」「ギブアップします!」

というぐらいに身もだえる有名人が多いことと同じです。

・自分の過去の映像とは、そういうものなのです。

つまり、生きる私たちが愛する故人の写真を飾るという行為は、故人にとっては、

「できれば止めてほしい」

ことなのです。有名俳優が昔の映像を見たくないのと同じ心理です。

故人は肉体を無くしていますから、生きる俳優たちの10倍の強さで感じる「生前の嫌なことも思い出す」きっかけに成ります。

これは愛した動物のペットでも同じです。

ペットが成仏することを、写真の画像により、執着を引っ張って妨害します。

こころよく、次の転生の旅にペットを送り出すことが大切です。

写真・映像の保存は良いですし、記念日だけに出して飾るのは問題はないです。

常設が注意です。

以上は、私のアノ世での記憶であり私見です。

信じていただく必要は無いですが、こういう可能性も知って置いて頂ければ幸いです。

Pleiades.の髭男

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